最近読んだ本の紹介です。
竹村公太郎さんの「日本史の謎は地形で解ける」を読んで、ご紹介したいと思ったので、記事にしてみます。
竹村公太郎さんは、国土交通省の官僚さんでした。ダム建設に3回携わっておられます。
日本でダム建設に3回も携わっておられるのは、竹村さんだけだろうとのことです。
言ってみれば、土木のプロです。
土木のプロが見る日本史
土木のプロが日本史の謎に迫る本ということですね。
気に入っている題材を紹介したいと思います。
例えば、ペリー来航が日本を救ったという話です。
昔は、化石燃料をエネルギーに用いるという発想がありませんでした。
つまりは、エネルギーを利用するためには、木を燃やすしかなかったのです。
そして、日本人は米を食べるためには、火を起こさないといけません。家を建てるにも、木が必要です。
つまりは、人が密集した地域では、膨大な量の立ち木が必要だったということです。
今からは考えられないことではありますが、江戸時代末期では、山は禿山だらけだったとのことです。
証拠は、歌川広重の東海道五十三次で出てくる山は全て禿山です。
最初、竹村さんは山を書くのが大変で手抜きをして、山の木を書かなかったのだろうと思ったらしいですが、そうではないことがわかったそうです。
江戸末期、当時の江戸は世界最大の都市でした。人数で言えば、100万人都市でした。
1人が年間で必要とする立ち木は、20本程度だと竹村さんは計算しておられ、江戸の暮らしを支えるには毎年2000万本の立ち木が必要だったと言われています。
毎年2000万本を切られていたら、いくら木を育てたとしても、追いつきません。
なので、禿山だらけになっていたと竹村さんは言っておられます。
つまりは、もう燃やす木などなくなっていたため、日本は人口増加の停滞期に入っていたそうです。
そこでペリーによって化石燃料の概念が持ち込まれたことで、木を切らなくても、エネルギーを生み出すことができるようになり、日本の危機をかろうじて救ったということを言っておられます。
現在から考えると昔はもっと緑が多かったと思ってしまいますが、なるほど、確かに火を起こすには木が必要で、森林伐採を続けていたら、山は禿山になって当たり前だなということに気がつきます。
逆に、現在が一番緑が多い時代だということに気が付くわけです。
現在と同じ視点で見たら、日本史を見誤る
現在の状態だけを見ていたら、わからないことではありますが、古地図や寺社仏閣を建てるのに用いた木材などの証拠は残っているので、それを見てみると、竹村さんの言っておられることが正しいことがわかるそうです。
他にも、地形からわかることがいくつも紹介されています。
どれもなるほど!理系の人が考える日本史は、文系の人が考えた日本史とは、これほどまでに違うものかと思わされます。
ぜひ、地形から読み解ける日本史について興味を持たれた方は、この本を読んでみるといいと思います。
歴史観がまったく変わったものになると思います。