文化放送のラジオネタです。コメンテーターは経済評論家の三橋貴明さんです。
今年は、夏の日照時間不足で、野菜が高くなっています。
野菜の価格が上がっています
夏の長雨で野菜の収穫量が減り、価格が上がっています。
きゅうり、なすの値段が2倍になっているとか、ピーマン、ゴーヤ、ネギも品薄状態にあるそうです。
これから秋にかけて、野菜の価格の高騰が予想されています。
野菜の不作から、食料安全保障を考える
野菜の不作から、食料安全保障を考えたいと思います。
効率性を考えた場合、単一の野菜を作る、また一地域に集中して野菜を作るなどをすると、コストを抑えることができ、効率が上がります。
効率のことだけを考えたら、単一野菜の栽培、一地域への集中は正しいでしょう。
しかしもし、日本の食料生産がどこかの一地域に集中してしまい、その地域で天候不順や台風被害などで壊滅的なダメージが襲った場合、日本の食料安全保障はどうなるでしょう?全滅してしまいます。
外国からの食料輸入もやってもいいですが、その外国が天候不順になったら、日本に食料を売ってくれるでしょうか?自国の国民が飢えてまで、日本に食料を輸出してくれるわけがありません。
つまり安全保障を考えた場合、供給能力の多様化が必要だと言えるわけです。
食料に限らず、安全保障の観点では、集中化や一本化は、善ではないということです。
分散こそ、安全保障の肝だということです。
グローバリズムと食料安全保障
グローバリズムとは、基本的に利益の最大化を目的としています。だから人、カネ、モノの移動の自由化を謳っているいるわけです。
そうすると、安全保障の観点で善ではない集中が起こります。そうすることで効率化が計れて利益が出るのです。
効率化を考えたら、特定の地域だけで生産した方が、費用を抑えられるので絶対に儲かります。
しかし、日本の食糧生産は、多様性を持っています。
本来であれば、多様性より集中化や一本化した方が儲かります。
帝国主義の時代には、アジアやアメリカ大陸などで、特定の作物だけを集中して生産していた時代があります。
現地の人たちは、米や小麦などの生産を無理やり辞めさせられて、特定の作物を生産することに集中させられて、投資家たちが儲ける仕組みがあったのです。これをプランテーションと言います。
たとえばアメリカ大陸だと砂糖、インドだと綿花やケシ(アヘンの材料)、マレーシアだとゴムの木、そういうものだけを作らされたわけです。
マレーシアのゴムは、デトロイトの自動車メーカーに売られて車のタイヤになっていました。そうやって投資家が儲かっていたわけです。
なんで、そんなことをするかと言えば、そうすることで利益になるからなのですが、しかし非常事態に弱いです。
マレーシアにしろ、インドにしろ、ちょっと天候不順になっただけで、餓死者が続出する事態となりました。
ゴムや綿花やケシは食べられないからです。
しかし、そちらの方が儲かるということで、強制的に生産させられたのです。それがプランテーションです。
グローバリゼーションというのは、非常事態が起きないことが前提となっているわけです。
イギリスのインド支配
イギリスがインドを支配していましたが、インドは元々小麦輸出国だったのですが、小麦から綿花に切り替えさせられました。
作られた綿花はイギリスに持っていかれて綿製品になりました。
そして、安い綿製品がインドに売られたという儲け話です。
そんなインドで天候不順など起こると餓死者が出まして、19世紀だけで、餓死者は2000万人だったとのことです。
イギリスのインド支配により、インドは当時豊かな先進国だったのですが、貧困国に転落してしまいました。
特定の生産物に特化するということは、そういう悲惨な結果をまねくということです。
特定の地域、特定の生産物に特化したグローバル化は、安全保障とは相性が悪いことを知らないといけないと思います。
食料だけでなく、安全保障では、分散がとても大事だということです。
安全保障ではBCP(事業継続計画)が必要
分散させるということは、同じ機能を複数持つことです。
同じ製品を作れる工場を九州と東北に作るということは企業にとっては無駄です。
しかし、そういう無駄を許容しないと安全保障は確立できないということです。
デフレの日本で安全保障は考えられるのか?
デフレの日本では、無駄を削れ~!冗長なものはなくせ~!となってしまっていますが、いざ非常事態が起こったときは無駄や冗長なものがあると助かりますよ!という話なのです。
高速道路も、1箇所に行くのに、いくつもルートがあるところもあります。
それは平時には無駄かも知れませんが、非常事態時には、どこかが潰れても、他のルートで行けるという考え方を持たないといけないということです。
過去を振り返れば、東日本大震災はあるし、豪雨により川が氾濫することもあるわけです。
日本は、常に平時のことだけを考えていていい国ではないということを覚えておかないといけないと思います。
非常事態が起こらなかったら無駄じゃないか!という話もあるかも知れませんが、それはそれでいいのではないでしょうか?
非常事態に備えることは大事だと考えます。
グローバル化によりモノカルチャー化している?
利益を優先しましょうという考え方だと、モノカルチャーになってしまいます。
選択と集中という考え方になってしまうのです。
最近だと、種子法の廃止が挙げられます。
種子法では、都道府県に地方交付税を払って、その各都道府県で種子を作ってきました。これにより、各地域に合った多様な種子を綿密に生産してきました。
これは、無駄といえば無駄です。なんで、そんなことを各都道府県でやる必要があるのかという話になってしまったわけです。
もし効率のいい種にするということで、全国均一の種子に切り替えたとして、その種に致命的な問題が発生した場合、どうなるのでしょう?全滅します。
なので、各都道府県で多様な種子を作ることは、食料安全保障上、重要なことなのですが、今の日本では多様性の重要性を忘れてしまっています。
だから、種子法の廃止などということをしてしまうわけです。
効率が良ければいいのかどうか、改めて国会議員の方々には考えて欲しいと思います。(まあ、最初に決めたのは民間議員と言われる民間人が決めたのですが。。。)