国の借金なんて、気にしなくていい。貨幣論から見る財務省の愚かさ







なぜ日本で、「日本の借金は1000兆円」ということ言われると国民は、日本は財政問題があると思ってしまうのでしょう?
それは、貨幣って何?ということをちゃんと説明されないからではないかと思うのです。

新古典派経済学の間違った貨幣観

大体において、財務省が基盤としている主流派経済学である新古典派経済学が、貨幣について間違った認識を持っています。
新古典派経済学はどこから発生したかというと、アダム・スミスが書いた国富論から始まっています。
1776年に発行された本を未だに信じているわけです。
社会も国の形も大きく変わっているのに、それを無視して、妄信しているわけです。
どこが間違っているかというと、新古典派経済学では、貨幣を商品と考えています。
貨幣は物々交換から派生したものというのが古典派経済学の考え方です。
考古学的には、貨幣の発生は、物々交換から始まっていないことを示す証拠はいくつも発見されています。
つまり、古典派経済学は考古学を無視しているわけです。
考古学でわかっている貨幣の始まりは古代バビロニア文明以前まで遡ります。
紀元前1800年のハンムラビ法典よりもさらに300年古いエシュヌンナ法典にすでに財の価格や利子についての規定があるそうです。
神殿や王宮などの公の団体が臣下たちに徴収と財の再分配をしていましたが、臣下の債権債務を計算したり、記録したりする簿記が必要となり、計算貨幣が生まれたと考えられています。
そのときに、債権債務の記録が貨幣として用いられていたと考えられます。
実際に債権債務の記録が、財やサービスの交換に用いられていた証拠はいくつも見つかっています。
つまり貨幣とは物々交換から発生したわけではなく、債権債務の記録を用いて、財やサービスの交換が行われ、貨幣として利用され始めたと考えていいわけです。

新古典派経済学の金属主義

まだそれがわかってなかった時代に、金本位制がイギリスで始まり、金と貨幣を交換して、貨幣を発行するようになりました。
つまり貨幣の裏づけとして金が必要だったということです。
これを金属主義と言います。
古代バビロニア文明で示されている債務債権の記録としての貨幣の考え方は、表券主義と言われます。
古典派経済学は金本位制下で作られたため、そのときの貨幣観をそのまま用いてしまったわけです。
でも今は金本位制が1971年のニクソンショックで完全に終わり、金属主義ではなくなっているわけです。
それなのに、貨幣観を変えずに金属主義を続けているのが新古典派経済学なのです。

国定信用貨幣

貨幣とは、債務債権の記録であるため、金本位制のような金の裏づけは必要ないわけです。
貨幣は現在、国が発行し、それを国の信用の裏づけをもとに発行しています。
これを国定信用貨幣と言います。
つまり国の信用があるうちは、貨幣を発行できるということです。

政府の負債はどこまで増やせるか

現在、日本は低金利であり、国債の価格は下がっています。円の価格も安定しています。
つまり貨幣を発行する際の危険性はないのです。
ましてや、日本は、世界最大の経常収支黒字国であり、世界的な信任も高いのです。
そんな国をデフォルトに陥らせることはできないのです。
また政府は困ったら、日銀に通貨を発行させてそれを使えばいいのです。
デフレであれば上限はほぼないです。
デフォルトに陥りようがないことがわかると思います。
国は、お金を使って国土強靭化(インフラ整備)を進めれば、雇用を増やせ、インフラが整備でき、生産性と流通性を向上できるのです。
もし、景気が良くなり、経済成長できるようになり、インフレになった場合は、それだけ税収も増えるため、国債を発行する必要もなくなるわけです。
そうすれば、政府の負債について、頭を悩ませる必要はないわけです。
政府の負債を小さくしたいなら、そのときに増税をすればいいのです。
もちろん、やり過ぎて景気を後退させたらいけないですが、さじ加減を持って増税をすればいいのです。

政府の負債は本当はどのくらい?

日銀が通貨を発行する際、金融機関から国債を買い上げています。
日銀は政府の子会社の株式会社です。国が株式の51%を保有しています。
そんな会社である日銀が保有している国債は、連結決算の際、政府は日銀保有の国債を借金とする必要がなくなります。
政府から日銀への国債の利払いも95%を政府に返す必要があるため、実質的に日銀保有の国債はほぼ計算する必要はありません。
発行している国債の40%を日銀が保有しているため、実質的な国債の金額、つまり「政府の負債」は1000兆円ではないのです。
多く見積もっても600兆円です。(1000兆円の40%が日銀保有なので400兆円差し引けるから)
まだ他に政府が保有している資産や外貨準備金などを計算に入れると政府の負債は200兆円くらいだとのことです。

財務省に騙されるな

大体、財務省が主導する財政均衡主義自体、金属主義的な考え方なのです。(新古典経済学が主体になっているので当たり前)
貨幣の裏づけとしての金属は有限のため、それに合わせて財政を決める必要があるという考え方なのです。
逆に貨幣観が国定信用貨幣であれば、貨幣は債務と債権の記録でしかないため、日本の信用がある限り日銀にお金を刷らせることができるのです。
財務省の間違った貨幣観により、財政均衡主義がはびこり、国がお金を使えない状況にしています。

消費増税の闇

2014年4月の消費増税ですが、なぜ増税したのでしょうか?
先に述べたとおり、政府の負債はそれほど多くありませんし、例え多かったとして、借り換えを続ければいいのです。
先ほど言っていた財政均衡主義についても、貨幣観の間違えであることも説明しました。
いったいなぜあの時、消費増税が必要だったのか?
デフレで苦しみ続けている日本で。
消費増税とパッケージで、法人税引き下げの話があったのをご存知でしょうか?
今までの消費増税時には必ず法人税減税がパッケージになっています。
そして、消費増税分と法人税減税分の今までの積算分は、ほぼ一致しているのです。
それって何を意味するのでしょう?
深い闇を感じてなりません。

今するべきは消費増税ではなく消費減税

今するべきは消費増税ではなく消費減税をする必要があります。
消費増税は、この財政均衡主義が作り出した幻想なのです。
政府の負債を国民の税金で減らすだけが手段じゃないのです。(当ブログ「プライマリーバランス(基礎的財政収支)の恐怖」参照)
そもそもデフレのときに消費増税などしてはいけないのです。
前の当ブログ記事(日本人の消費支出が1割減)にも述べましたが消費増税はインフレ対策です。
なぜデフレのときにインフレ対策をしないといけないのか?
財務省がやっていることは矛盾していることがわかるかと思います。

日本は消費減税すべき

現在、国民の消費が18ケ月連続で落ち続けています。
アメリカからも消費税については、批判が出ています。(当ブログ「トランプ政権、日本の消費税を批判」)
これを期に消費減税をすべきだと思います。
それなのに、国会議員は、まったく議論をしていません。
非常に残念な国会議員たちと言わざるを得ないわけです。
なんとか国会議員を動かして、消費減税の話をしてもらいたいものです。

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