他のブロガーさんのいくつかの記事を読んでいて、ちょっと自分の時代がどうだったかを書いてみようかなと思いました。
僕が大学を卒業したときは、すでにバブルがはじけて1年が経っていました。
1,2年前の先輩は会社からの接待を受けて、いろいろおいしいものを食べさせてもらっていたことを聞いてましたが、僕の時代だと焼肉1回、お寿司1回連れて行ってもらったくらいでした。
あと、地方の学校だったので、東京の会社に行って、会社見学をすると3万円くらい交通費をもらうことができました。
それで、1日3箇所くらい見て回ると9万円!実際の交通費は3万円くらいだったので、6万円の儲けが出る!なんてことがありました。
バブルがはじけていたとは言え、まだ制度が残っていたのでしょうね。
就職活動ですが、国立大学だったからか、その学校だけだったのかわかりませんが、成績順に空いている会社を選んでいき、全員がひとまず会社を選んで面接に行きます。
それで受かるとそれでおしまい。落ちたら、他の残った会社を選んで、また面接に行く感じでした。
僕の場合は、1社目で内定をもらえたので、1社しか面接は受けませんでした。
バブル時代は、落ちることはまずなかったようです。
僕の世代では、意外と落ちている人がいましたが、大概の人は希望の会社に行けたようです。
何よりバブルがはじけて2年後に景気が回復するかも知れないと期待する人が多くて、大学院修士課程に進む人が多かったです。
先ほど、就職面接が1回と話しましたが、配属面接というのが、その会社ではありました。
50箇所くらいの製作所、研究所の中から、自分が行きたいところを8箇所選んで、どこに配属されるか面接するというものです。
僕の場合、今思うと出来レースで、電子回路の勉強をしていたので、ほぼ間違いなく半導体に配属されることが決まっていた感じでした。
入る前から半導体は仕事がしんどいという話がありましたので、その会社に入った時点で間違いでしたね、今思えば。
でも、その頃は電子立国日本などというNHKの番組があるくらいで半導体は花形事業でした。
今は半導体は見る影もないですけどね。。。
入社式は巣鴨の講堂で1日半使ってやりました。新入社員1200人弱。全員本社採用です。
TBSが撮影に来ていて、4月1日の夕方の番組で放送されているのを同期の何人かと見たのを覚えています。
1日半の入社式の中で、ありがたいお話と研修をして、2日目の午後から、各配属先に配属されます。新幹線で移動でした。
僕の場合は、兵庫県の伊丹市だったので、通える距離にある、兵庫県の尼崎市の寮に直行でした。
結局伊丹市に配属されたのは1200人中285人くらいでした。
1/4くらいが配属されていたので、会社がどれだけ半導体に力を入れていたかがわかります。
っで、配属されてですが、新人さんはいろいろさせられます。
研修中、よく走らされました。一番は、六甲縦走というのがあり、尼崎から有馬温泉まで、六甲山を通って、走っていく(半分以上歩いてましたが)というのがありました。
他の会社の人にその話をすると、そんなこと、研修でやらないよ!っと言われましたが、自分ではそんなにおかしいと思っていませんでした。
でも、会社では新人さんは、大事にされていて、研修期間中は、新人さんは社長より偉い!と言うほど、先輩たちからは大事にされていました。
バブル時代の人材不足の経験から、新人をとにかくやめさせないというのが徹底されていたのです。
新人でやめる人がやはり多いからですね。
誰かの責任で新人がやめたとなったら、懲戒でもあるんじゃないかというくらい問題になった時代でした。
バブル時代はそんな時代だったのです。
そして、今日本では生産年齢人口が減ってきていて、これから人材不足が目に見えて目立ってきました。
また新人さんが大事にされる時代が来ていると言えると思います。
どこの会社か忘れてしまいましたが、新入社員に25万円払う会社まで出てきています。
新人さんの立場が向上することになると思います。
今後に期待ですね。